LINDBERGHが厳選した 特選ビデオ

オートバイとカメラの関係、勝手に思うこと

「アンリ・カルティエ=ブレッソン−疑問符」
VHS ビデオ/モノクロ・カラー/37分.........¥4,661(税抜)

   車やオートバイ好きの方で写真を撮ることが好きな方はかなりいるでしょう。だからといって、土門拳のように冬の室生寺のある一瞬をとるために、何日も待ち続けることは我々にはむずかしいことです。自分が行動できる範囲、町の中で、旅の中で、心に焼き付けたい一瞬を切り取りそれを残したいと思っている方は多いはずです。そのつもりでカメラを持って出かけ、これはという場面をフィルムに収めてもプリントしてみれば大したモノはとれてなく、気持ちと結果が撞着してしまう。しかし歴史に名を残す写真家が、実際にどうやって撮っているかを垣間見ることができて、どんなつもりでそうしたかを実際の映像で見ることができれば、最高の参考になります。そんなビデオがここにあります。
「アンリ・カルティエ=ブレッソン 疑問符」というちょっと判りにくいタイトルですが、アンリ・カルティエ=ブレッソンが本音を出して、見せてくれています。彼は今世紀最高の写真家の一人といわれ、誰もが写真をとるときに使う言葉『決定的瞬間』という言葉をつくった人です。ではすばらしい『決定的瞬間』を撮るにはどうしてきたのか。彼は次のようにいっています。
「自分を消し、カメラの存在も忘れ、生き生き見ること。カメラは瞬間的に自分を表現できる唯一の方法。だから一瞬が命だ。写真を撮るということは、その場に参加し証言者になることだ。逸話が生まれそうな構図を決めて楽しむことだ。傑作を撮ってやるなんて思っちゃダメだ。うまくいかないほうが多いんだ。
傑作ができたとしたら、人からもらう贈り物と同じだ。その場にいるという偶然を、うまく利用するということだし、人生と同じように、一瞬のうちに終わるもの。鑑賞に堪える写真など、めったに撮れない。泥棒というより、スリみたいなものだ。
あるものを見つめる。いつシャッターを押すか、もうすぐ、もうすぐ、感動の極みにシャッターを押す。オルガスムスに似ている。瞬間的にはじけて成功する場合もあるし失敗もある。一回限りなんだから。絵画は黙想、写真は射撃だ・・・・」と。
 ただ彼は比率の取れていないものを見るのが我慢ならないし、写し取るときの幾何学的構図に注意を払っています。ポートレートを取ることはあまり好きじゃないといっています。でも撮るときは、人の持っている沈黙の表現をとることが目的だと。彼のすばらしいポートレートに、ルオー、マチス、キューリー婦人、トルーマン・カポーティー、フォークナー、ジャコメティーなどなど。そして、いずれにしても写真を撮るということは、頭と、目と、心を、同じ標準線に合わせることなんだと言い切っています。ようするに、頭であれこれ構図を考えて撮るだけではだめだし、ただきれいだなぐらいでもピンと来るものにはならない、気持ちだけが先走りしてもだめなのだということでしょう。

 アンリ・カルティエ=ブレッソンが撮った『決定的瞬間』のシーンがこのフィルムに納められています。1945年ドイツ・デッサウの国外追放者キャンプにて、ゲシュタポの女諜報員が一人の女性に告発され頬を殴られるシーンが映像で、そして一枚の写真で見ることができます。緊迫した一瞬の場面のどこを彼が切り取ったかがわかります。この部分だけを見るだけでも価値があります。そして彼は次のように言っています。
「我々がしているように現実を証言するか、アベドンのように演出するかどちらかだ」
現実をいかに切り取るのか、それが露骨な見るに耐えないカットになってしまうのか、なにか感動を誘うものになるのか、どこを切り取るのかはそのひとの人間性に根ざすことになると思います。演出はスタジオの中だけでいいでしょうし、現実を切り取るほうがすばらしい。アンリ・カルティエ=ブレッソンは世界を回っておもに人を撮り続けました。雑踏の中で、ふつうの年寄りがカメラを構えているだけでしかないシーンを見ると、いまどきのオートフォーカス・自動露出が意味ある技術とは思えなくなります。ピントを合わせるためにレンズを常に動かしているようにも見えない。絞り込んで被写界深度を上げればシャッタースピードは遅くなり動くものについていきにくい。やはり天才なのかと思うしかないのでしょうか。
 最近、64才になってからBSA-SRを買った方がいらしゃいます。その年まで原付は別としてオートバイには乗っていなかったとのことです。趣味は写真を撮ることで、何台かのライカと数十年つき合ってきていましたが、あるとき突然オートバイが目に入ってきたようでした。今夢中になってオートバイに乗っていますが、常にライカを身に着けています。オートバイは最高の移動道具、思いつく限りのところへ行って、頭と、目と、心を、同じ標準線に合わせて、すばらしい描写を切り取ってくることでしょう。