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From Down Under 地球の反対側から
 英米から見て地球の反対側を略式で、ダウン・アンダーと英語でいいます。つまりオーストラリアや、ニュージーランドのことを差しています。この全人口400万人弱のイギリス系の国から、約10年ほど前に、ほとんどハンドメイドで作ったオートバイで世界を驚嘆させた一人の男がいました。このオートバイにこそ革新的という言葉があてはまります。いまもって、これ以上のオートバイはないでしょう。これは、E・S・ファーガソンが言っている心眼(マインズ・アイ)によって、このオートバイのコンストラクターであるジョン・ブリッテンが世に出した傑作だったということです。E・S・ファーガソンの言葉を借りれば、今日、大半の技術者は、科学者と呼ばれると喜ぶが、芸術家と呼ばれることには抵抗を感じている。芸術家は退廃的で、瑣末なものであり、おそらくは無用のものである、というのが技術系の学校での理解であるし、芸術はソフトな主題であって、ハードサイエンスのもつ厳密性や、工学にはあるとされている客観性を欠いている、というわけであると。しかし、製図板上に鉛筆やペンで描かれようと、コンピュータ画面上にカーソルで描かれようと、技術者の図面は、芸術家のデッサンや絵画と重要な特質を共有している。技術者も芸術家もどちらも白紙から始める。どちらも、心眼で見たビジョンをその上に移していく、といっています。単純な理屈の積み重ねが物のカタチとなって横行しすぎている我々の今の環境にあって、ジョン・ブリッテンのオートバイは奇異に映るのは否めません。あまりにも短期間に、ハンドメイドで、革新的なものを作り、それで結果を出すという、そして思ってもみない結末が待っている現実の物語がこのビデオの90分の中に、ちりばめられています。約5年間のブリッテン・チームの輝かしい記録を、二度と作れないこの映像で、すばらしい映画に仕上げています。
 ジョン・ブリッテンは、わりと裕福な不動産業者であり、インドアプールのあるヴィクトリア朝デザインの家に住んでいました。数人の熱心な友人達と裏庭の納屋でオートバイを作りはじめます。1991年のデイトナ・バトル・オブ・ザ・ツインの8ヶ月前に、このバイクV1000は例のフォルムさえありませんでした。エンジンは試作段階のものだったしレースに出る状況ではなかったのです。針金でフォルムを作り自分でグラスファイバーを貼りつける。古目の工作機械、自分で熔接、クランクケースやシリンダヘッドの鋳造。ケブラーとカーボンファイバーで作るホイール、不可解な曲がりくねったエキゾーストパイプの加工、そして仲間の優秀なエンジンビルダーと組み上げていくエンジン。ブリッテンの子供も手伝っています。レースの4ヶ月前にファイナルボディができあがります。このビデオの最初の30分はオートバイの作り方の見本のようなものです。それも実に楽しげに。最初のサーキット・テストランで即転倒。唐突にパワーが出すぎたのかハンドリングが追いついて行けないかのようなシーン。そしてテストが続き、デイトナに参戦。
 興味深げにしか見ていなかった人々も、予選結果のタイムを見てから態度が違っていくのがわかります。ワークスのドカッティについで2位。1992年のデイトナに再度参戦。1100tに排気量を上げ全てを見直していました。圧倒的な早さでトップに立つもフィニッシュから数ラップ手前でエンジンが止まってしまいます。バッテリーが上がってしまっていたのが原因でした。ドカッティは不戦勝で勝ったようなものでした。きちんと給料が支払われているメカニックと、ファクトリーレベルの技術的バックアップを持っているチームだったら起こりえないトラブルが続きました。その後ニュージーランドのコンピュータ会社からのスポンサーを受けることにはなりますが、それまではほとんど仲間の協力と自腹を切った状態でチームを運営していました。1993年にマン島に出場し、最高速を記録します。なんとこの時にジョイ・ダンロップもブリッテンを試乗していました。1994年デイトナのバトル・オブ・ザ・ツインで優勝、その年、ニュージーランドのナショナルシリーズでラウンド1からラウンド4までラップレコードをたたき出しながら全て優勝。このマシンの特異さは、ブリッテンV1000、1100の両方にテストした、有名なジャーナリストのアラン・カスカートが説明しています。彼のブリッテンに対する言葉は「プリティ・デフィカルト」です。
 フレームレスのこのオートバイはエンジンの幅がリアタイヤより狭く、ハーフ・フェアリングで前面投影面積が小さい。水冷なのに小さなラジエターをシートの真下に水平に置きフェアリングノーズから導かれたエアで冷やしている。フロント廻りはカーボンとケブラーで、自分で設計し自分で作った特殊なガーターフォーク等々きりがないほどです。オートバイの設計者が、商業的な制約を受けず、白紙と無限の予算を与えられれば、確実に採用するに違いない無数の特徴をみごとに集大成したすばらしいオートバイだと彼はいい切っていますが、私はそれだけではないと思います。技術がいかに寄り集まってもブリッテンは生まれない。ジョン・ブリッテンの心眼がなければ生まれません。そして、ジョン・ブリッテンは、今はもういない。その数年後に他界しています。今もって最も革新的なオートバイの全てを語る映像を見てみませんか。