(株)リンドバーグ
1924年型. Bugatti T13 Brescia
ようやく穏やかな初秋を迎えた今日この頃、久しぶりに、なんとご夫婦二人乗りで来店された。乗ってきた車は、1924年型. Bugatti T13 Brescia。 1910年ブガッティは創業し、当初は5000ccの車だけだったが、その後並行してT13も時折レースに出場していた。このT13は1924年式であることを考えると後期のものといえる。このT13は、1500c・OHC・4気筒でなんと16バルブだった。ホイールベースは2mで全長3m強のかなり小さいボディで二人乗り。ギアチェンジはボディ右側のレバーで変速する。フロントスクリーンやホイールのフェンダーもなく座っても体を外にせり出さなければならない。シートベルトやヘッドレストがどうのこうのというレベルではない。前回来店されたとき、ためし運転を勧められたが手動のギアチェンジもさることながらシフトミスなど恐れて遠慮した。それではと助手席に乗せていただき、環八を往復したが、スーパーセブンより幅が狭いシートなので、二人の男が前を向いて座れない。助手席に乗る私は体をねじり気味にするか、外に体をせり出さなければならない。フロントスクリーンはない上、体をよじってもろに風を受けることになる。これはバイクに乗っているよりはなはだつらいが、座った位置がかなり高いので見通しは良い。70km/hまでの加速だったがエンジンは素晴らしく吹け上がり、それなりの轟音が体を包み、どこまでも乗っていきたくなる気分を味あわせてくれる。4速3000rpmで110km/hの巡航が可能。最近エンジンをフルオーバーホールしたとのことだが、現在でもほとんどの部品が手に入り、とんでもない値段ではないと聞いて、文化の違いに唸ってしまった。車は目的地に早く着く道具として考えられた。その機能だけのものに乗ってみて、今の車がどんなにつまらなくなったのか、感性を鈍らせていくのかぞっとしてくる。新幹線に乗って時速200kmを超える車内で新聞を読むこと、ナビに頼って自動車に乗ることなどなど、便利で楽は、とんでもなく何かを置き忘れた人間を作っていってしまいそうだ。また、便利で楽は、本当の楽しさを味わうことなく、本物を知ることなく、無反応な人間を量産していくだろう。 閑話休題。最近私は引越ししたのだが電気釜のコードをどこかに入れたまま出てこない。電気釜があっても飯が炊けない。女房が昔を思い出して、大き目の土鍋で飯を炊いた。同じ米なのに死ぬほどうまかった。やはりコードが必要だということでメーカーから取り寄せたが、結局、土鍋で飯を炊いている。今では土鍋で飯を炊く手際がかなり良くなっている。それどころかだんだん自信を持ち出している。タイマーなど使わず、見ただけで判断している。だから今晩はご飯を炊くと聞くと昼食にまずい飯を食べないようにしている。本末転倒だがおかずが何かは、おいしいご飯に何が合うかで考えるようになってきている。そのうちまたコードを紛失するかもしれないが、誰も気に留めなくなっている。我が家ではもう電気釜ほど要らないものはないということになっている。便利で楽が不味いものを食べるということだったということだ。今の車について、便利で楽が移動する楽しみを分らなくさせることにつながる。距離感、到達感を希薄にさせるとしたら、旅ではない。今のほとんどの産業は現実をデジタルに置き換えることに躍起になっているが、目的は人間の家畜化ではないかと。
「グランプリ ブガッティ」 H.G.コンウェイ 著/石川達 翻訳/A4判変型/272p/日本語/¥6,090(税込)