たまたま手に入れてしまった写真集
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土門拳ほど好みの分かれる写真家はいない。報道カメラマンとして「ヒロシマ」で名を馳せた。
社会的現実を冷静に捉える彼の目は、写真を通して告発するというスタンスで身を切るような写真を撮っている。被写界深度を深く撮る土門拳には、被写界深度を浅く撮る木村伊兵衛のやさしさはない。現実をとことん追い詰めて時間の深遠さを追い求めている。社会的リアリズムの探求と古寺巡礼におけるあくなき仏像撮影は、あるところで一致しているように思える。
たまたま手に入れた「室生寺」は1954年美術出版社から刊行されたもので土門拳の署名と印のあるものだった。1946年の夏に室生寺の住職に春夏秋冬のうち、いつの室生寺が一番美しいかと土門が聞いたら「雪の室生寺が第一等である」とのことだった。この言葉から土門の執念が発せられていく。
何度もトライするものの雪にめぐり合えず32年後の1978年3月、念願の雪の室生寺を撮り終えている。この写真集ではその雪の室生寺を撮れなかったが、室生山全体をいきいきととらえている。そして、弥勒堂の釈迦如来坐像の頭部の写真が何より凄い。絞りを64として一時間以上のシャッタースビードで撮ったと言われている。平安初期に作られた高さ約1メートルのこの坐像のゆたかに秀でた威容を正確に捉えている。
晩年、病で車椅子に乗りながらも撮影していた気迫はこのころの写真からも伺える。後年、この写真に限らず数多く同じショットが別の写真集に載っているが、最初に紹介された写真集は何かが違う。この写真集は57年も前の出版物で、今となっては格段に印刷技術も向上しているにもかかわらず圧倒するものがある。
私がうがった見方をしているのか、50年以上経た印刷物のへたり具合かわからないが存在感がある。大事に保存して時々眺めていたい。ライカX1を購入したばかりの私にショックを与えた大切な本として。
土門拳関係の本たち
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土門拳ほど好みの分かれる写真家はいない。報道カメラマンとして「ヒロシマ」で名を馳せた。
社会的現実を冷静に捉える彼の目は、写真を通して告発するというスタンスで身を切るような写真を撮っている。被写界深度を深く撮る土門拳には、被写界深度を浅く撮る木村伊兵衛のやさしさはない。現実をとことん追い詰めて時間の深遠さを追い求めている。社会的リアリズムの探求と古寺巡礼におけるあくなき仏像撮影は、あるところで一致しているように思える。
たまたま手に入れた「室生寺」は1954年美術出版社から刊行されたもので土門拳の署名と印のあるものだった。1946年の夏に室生寺の住職に春夏秋冬のうち、いつの室生寺が一番美しいかと土門が聞いたら「雪の室生寺が第一等である」とのことだった。この言葉から土門の執念が発せられていく。
何度もトライするものの雪にめぐり合えず32年後の1978年3月、念願の雪の室生寺を撮り終えている。この写真集ではその雪の室生寺を撮れなかったが、室生山全体をいきいきととらえている。そして、弥勒堂の釈迦如来坐像の頭部の写真が何より凄い。絞りを64として一時間以上のシャッタースビードで撮ったと言われている。平安初期に作られた高さ約1メートルのこの坐像のゆたかに秀でた威容を正確に捉えている。
晩年、病で車椅子に乗りながらも撮影していた気迫はこのころの写真からも伺える。後年、この写真に限らず数多く同じショットが別の写真集に載っているが、最初に紹介された写真集は何かが違う。この写真集は57年も前の出版物で、今となっては格段に印刷技術も向上しているにもかかわらず圧倒するものがある。
私がうがった見方をしているのか、50年以上経た印刷物のへたり具合かわからないが存在感がある。大事に保存して時々眺めていたい。ライカX1を購入したばかりの私にショックを与えた大切な本として。


